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考えるな、感じろ! 〜ヤブキタカユキ COLUMN〜

俺の生まれた1972年。世の中には様々事があった。
・ニクソン米大統領、スペースシャトル計画開発を発令
・東パキスタン、国号をバングラデシュとする
・グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一発見
・連合赤軍によるあさま山荘事件
・田中角栄通産相(当時、後この年に首相となる)が「日本列島改造論」発表
・ミュンヘンオリンピック開催

これ以外にも様々な事があったに違いない。
そんな俺はこの年の10月5日に生まれた。
「朝方だったかな」と両親から聞いた事がある。
今思えば、70年代はこれ迄の価値観からあらたな価値観に変わろうとする
初期症状と云うべき段階、合理化なるものが堂々と正面切って入って来る時代の幕開けだったのかもしれない。
田中角栄の「日本列島改造論」がすなわち顕著である。
当の俺はそんな事はつゆ知らず、両親の愛を存分にうけながら、やりたい放題の毎日だったことでしょう。
まず70年と云う年号を記憶していない。
80年代に入りようやく自己に目覚め、年賀状など書く際に「昭和」とか「〜年」を意識するようになったと記憶する。
いわゆる、多感な時期は80年代であった。初恋も、音楽も、初期衝動としては80年代がルーツである。
だがこの時代、決して全てがイケてる時代ではなかった。
音楽に関してなんかは、より商業主義な時代の到来。質より量の時代。
法則、方法論に基づき次々と発表される音楽は「情熱」なんかよりも「感情」をコントロールする事で、より冷静にそして淡々としていて「学問」とも思わせる側面もあった。
ただ、そのおかげあって、カウンターカルチャーは徐々に盛り上がりをみせた。90年代初頭のグランジ、ヒップホップ、クラブカルチャーを垣間みれば秀逸だろう。
俺も、メインストリームではなく、あくまでアンダーグラウンド指向だったし、必然的に「パンク」ってもんに出会った気がする。
アンダーグラウンド色の強い物を「あり」とし、持論を密かに展開し、その一方で「テレビ的なエンタメ心」をもつ近所の普通の友達、学校の友達ともうまくやっていた、ませたガキだった。
そして現在もその思考(?)指向、傾向は変わらない。
だがしかし、全ては持論だ。誰かの受け売りではない。一度自分自身の中で昇華しないと納得はできない。「はいそうですか」はむいてない。
けっこうめんどくさい「社交的孤立指向症候群」なのだ。
だから、ブルースリーの言葉「考えるな、感じろ!」は意外にグッとくる。
色々な意味でとれる言葉であり、深い!

俺の36年間。これからの人生も様々事があることでしょう。
常に「時代」が存在し、誰かが「突破者」となる。

いくつになっても、
現時点が一番楽しいと思える思考でありたいし、そういう事を共有したい。


来月のコラムは、以上の事を踏まえ「世代間」について語ろうと思う。

「いくつになってもあまえんぼ」
間寛平氏のギャグ。
深い!

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