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平和論! 〜ヤブキタカユキ COLUMN〜

世は100年に一度といわれている不況にあえいでいる。
この不況時にザックリ分けると「かんけーねーな」と言う人と「切実です」と言う2種類の人間がいます。

この「かんけーねーな」という人達は、この不況をある種傍観的な立場に立って見ているのではないでしょうか。要は直接的に関係無いわけであり、今すぐどうこうって事では無いわけです。

お金という価値観の上に社会が存在しているのは言うまでもありません。
お金に依存しているからこそモチベーションも上がり、より暮らしやすい生活環境が整うのです。その反面、希望を失い、人格までも崩壊してしまう場合があるのも事実です。

景気を刺激するには、市場にお金を投入する事が理論上あてはまるのでしょう。
例えば、その中の一部分として、合衆国をはじめとする先進国の国防予算を軍産複合体にばらまき軍需産業を活性化するということがあります。『戦争』をすれば経済が豊かになるという事は周知の事実です。
ヤクザ同士が争いになり、武器を沢山調達しないといけない。そうすれば『武器屋』は儲かります。それと一緒なのかもしれません。

日々真面目に働いてお金を稼ぐ事は社会生活を送る中では必要な事です。
職を問わず、全ての人が豊かになる事は素晴らしいと同時に、ストレスを抱え、時に癒され、我々現代人は歴史上最も時間を意識する時代に生まれたのかもしれません。


先にも記したように、豊かになりたいが為に『戦争』が行われるのでは本末転倒です。ストレスに関してもそうで、豊かになる為に必要以上に感情を抑え込まなくてはならない。しかし、これも事実として認識しないといけない。
だから癒されたいのです。
ちなみに、『癒す』という言葉は、本来は医学用語みたいです。病気と戦う人に対してこの『癒す』『癒える』を使うのが正しい事なのです。ということは我々現代人というのは完全に病気ということなのでしょう。


音楽を作る人間として、この『戦争』と『平和』を意識することはある種、必然なのかもしれない。ジョン・レノンの『イマジン』を聴いて何も感じなかった訳ではないから。
平和を願い、争う事がない世の中はどんなに素晴らしい世界だろう。

ただ、自分的にはそこにリアリティーはなかった。
自国が直接戦争に介入している訳でもなく、ましてや使命感とともに戦地に赴く訳でもない。ならばと、おじいちゃん、おばあちゃんに戦時中の話を聞くには幼すぎた。

ある年頃になって強烈に『イマジン』が心にしみた。
言葉尻すべてに、真実を感じた。
だから考えた。この事について自分なりに考えてみた。

『反戦』とは単に戦争に反対することなのでしょうか?
『戦争』の反対は『平和』なのでしょうか?

『反戦』というのは戦争をやる事に対して、反対の意見で戦う事だと思います。
したがって、そこにも争い(戦い)は生じるはずです。


では、どうすれば少しでも平和な世の中になるのでしょう。

それは、ディスコミュニケーションをやめること。
つまり、今以上に話し合う事が必要なのではないでしょうか。
面倒くさいが、とことん話し合う事。
極論、言葉を使った行為しかないと思うんです。

音符に言葉をのせる事もそうかもしれない。

単純なようで、いちばん難しい、
『言葉頼り』しかないと思うんです。

持論的には、
『戦争』の反対語は『話し合い』だと思うんです。

争いがなくなる世の中は安易に想像出来ないし、戦争がなくなる事は決してないだろう。

だが、『話し合う事』を意識して生活することは出来るのではないでしょうか。

太陽は僕らの頭の上に平等に昇ってくるかもしれないが
それを感じる気持ちは
もしかしたら
平等ではないのかもしれない



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